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2310-R-0269
建物賃貸借の原状回復を賃借人が実施しない代わりに費用相当額を賃貸人に支払ったが、賃貸人が原状回復工事をしなかった場合の費用の行方。

 事業用建物賃貸借契約の原状回復は賃借人が退去日までに実施する約定であったが、賃借人が退去や次の物件探しに多忙なので、工事をしない代わりに原状回復工事費用相当額を賃貸人に支払った。しかし、賃貸人は、原状回復工事をせずに次の賃借人に居抜きで賃貸した。

事実関係

 当社は、賃貸の媒介及び管理をしている宅建業者である。飲食業を営んでいた店舗の賃借人が退去することになり、当社は、賃貸人から依頼を受け賃借人と原状回復工事について協議した。賃貸借契約は、賃借人の明渡しの際の原状回復義務は、建物竣工時の設備・仕様(いわゆるスケルトン状態)とし、賃借人が設置した造作や設備は賃借人が撤去し、残置物があった場合は、賃借人は所有権を放棄したものとし、賃貸人が撤去・処分でき、その費用は賃借人が負担する約定である。原状回復工事等は、賃借人が退去日までに実施することになっていたが、賃借人は、工事業者の手配や手間や移転準備を考え、工事の実施に代え、原状回復費相当額を賃貸人に支払うことを希望した。当社は、原状回復費用の見積書を作成して賃借人に提示し、承諾が得られたので賃貸人と賃借人との間で退去合意書を交わした。合意事項は、原状回復費用相当額を賃借人が賃貸人に支払うことで、賃貸借契約の賃借人の原状回復義務の履行に代えるとする内容である。ただ、賃貸人が当該工事を行うという約定はなかった。賃借人は、賃貸人に合意した金員を支払い退去した。
 賃借人が退去4か月後に当社に訪れ、賃借していた店舗は同種の飲食店として営業していて、賃借人が開店時に設置し、退去の際に残置した厨房設備やカウンター等の造作もそのまま新賃借人が使用している居抜きの状態であり、原状回復費用を支払っているにもかかわらず、残置物の撤去も原状回復工事も行っていないのは不当であり、支払った原状回復工事費用を賃貸人は返還すべきと強く主張している。
 賃借人の退去後、当社は賃貸人から依頼されて、次の賃借人の募集を行った。賃貸人は、他の種類の飲食店や飲食店以外の店舗として使用するのであれば残置物を撤去するとともに内装も新装する腹積もりであったが、新賃借希望者がたまたま賃借人と同種の飲食店であり、設備等もそのまま使用したいとの希望があったため、居抜きとして賃貸することにした。

質 問

 賃貸人は、賃借人の原状回復義務に代えて退去する賃借人から原状回復費用相当の金員を受領し、賃貸人が原状回復工事を実施しないときは、賃借人に受領した金員を返還しなければならないか。

回 答

1.  結 論
 原状回復工事の実施について賃貸人が賃借人に代わって行うという合意がなければ、賃貸人が受領した原状回復費用相当の金員を返還する必要はなく、不当利得とはみなされないと解される。
2.  理 由
 建物の賃貸借において、賃貸借が終了したときは、賃借人は、賃借物を賃借した後に付属させたものは収去し、賃貸物に生じた損傷を原状に復する義務を負う(民法第599条、同法第621条、同法第622条)。損傷が通常の使用及び収益によって生じたものは、賃借人に原状回復義務はない。ただ自然損耗を含めて原状回復特約が約定されていれば約定に従うことになる。
 原状回復工事は、賃借人が実施する内容の約定が多いが、協議により賃貸人が工事を実施し、その費用を賃借人に請求もしくは賃貸人が預かっている敷金をもって清算し、不足があれば賃借人に差額を請求し、敷金の残額があれば返還することになる。賃借人は退去後に別の物件に転居することも多く、原状回復工事の手配をするのは煩わしいこともあり、賃貸人や賃貸人が委託している管理業者が実施するケースが多いのが実態であろう。また、工事を賃借人が実施する約定でも、賃貸人指定の業者に限ることも多い。
 事業用物件の賃貸借では、原状回復工事を実施しないで前賃借人の残置した設備等を含め、賃借人の退去した状態でそのまま賃貸する、いわゆる居抜きを条件とすることも広く見られる。退去した賃借人の設備等は前賃借人が所有権放棄する場合や新賃借人に譲渡することもある。相談ケースのように、賃借人が、原状回復費用相当額を賃貸人に支払ったにもかかわらず、新賃借人が居抜き物件として賃借し、結果、賃貸人は原状回復工事も設備等の撤去もせず、賃貸人は、受領した原状回復費用相当の金員を費消しないことが起こりうる。賃借人からすれば、支払った金員が使用されず、賃貸人の収入になることは、賃貸人の不当利得(同法第703条)と主張するのも頷けることである。
 裁判例では、退去合意書の内容が、「賃借人の交渉担当者が、賃貸人が原状回復工事を実際に行う旨を明示的に約した事実のないことを認めており、賃貸借契約上の賃借人が負担する原状回復義務の履行に代えて、賃貸人に対し金員を支払うことを合意する趣旨」であり、「原状回復工事を実施することを約した趣旨ではない」としたうえで、「賃貸人が明確に工事の実施を約してない限り、賃貸人は工事を実施する義務はなく、費用支払いは、賃貸人が工事の実施をするかどうかによらず合意されたものである」としたものがある。
 明確な合意とは、賃借人に代わり賃貸人が原状回復工事を実施する旨の合意が考えられる。「賃借人が負担する原状回復義務の履行に代えて、賃貸人に対し金員を支払うことの合意する趣旨」は、新賃借人との賃貸人間で、前賃借人と同様の原状回復費用の約定があったとしても、不当利得とは判断されないとしている(【参照判例】参照)。賃貸人が工事をするとの明確な合意があれば、不当利得が成立することになろう。

参照条文

 民法第599条(借主による収去等)
   借主は、借用物を受け取った後にこれに附属させた物がある場合において、使用貸借が終了したときは、その附属させた物を収去する義務を負う。ただし、借用物から分離することができない物又は分離するのに過分の費用を要する物については、この限りでない。
   借主は、借用物を受け取った後にこれに附属させた物を収去することができる。
   借主は、借用物を受け取った後にこれに生じた損傷がある場合において、使用貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が借主の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
 同法第621条(賃借人の原状回復義務)
   賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
 同法第622条(使用貸借の規定の準用)
   第597条第1項、第599条第1項及び第2項並びに第600条の規定は、賃貸借について準用する。
 同法第703条(不当利得の返還義務)
   法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。

参照判例

 東京地裁平成29年12月8日 ウエストロー・ジャパン(要旨) 
 賃借人は、本件退店確認書の締結により、賃貸人が賃借人に対し明渡期限までに本件原状回復工事を実施することを約した旨主張する。しかし、賃借人の交渉担当者自身、賃貸人が本件原状回復工事を実際に行う旨を明示的に約した事実はないことを認めている上、本件退店確認書上記載されているのは、前提事実記載のとおり、賃借人が賃貸人に金員を支払うことにより賃借人の原状回復義務の履行に代えることを合意する旨にとどまるのであり、その趣旨が、本件賃貸借契約上賃借人が負担する原状回復義務の履行に代えて、賃貸人に対し金員を支払うことを合意する趣旨であって、賃借人が賃貸人又は賃貸人の指定する業者に本件原状回復工事を委託する趣旨ではなく、賃貸人において本件賃貸借契約の終了日であり賃借人の本件建物の明渡期限までに本件原状回復工事を実施することを約する趣旨ではないことは、その文言自体から明らかというべきである。(中略)
 賃借人が、本件退店確認合意において本件賃貸借契約上賃借人が負担する原状回復義務の履行に代えて、賃貸人に対し金員を支払う旨を約し、同合意に基づいてこれを支払ったことは前提事実において認定のとおりであって、同額の支払いが法的原因を有することは明らかである。賃借人は、本件後継賃借人が賃貸人との間で本件原状回復義務と同様の原状回復義務を負担しているとすれば、賃貸人は本件原状回復費用相当額を不当に利得することになる旨主張するが、仮に本件後継賃借人との間でそのような合意がされていたとしても、少なくとも賃貸人との間において上記金員の支払いが法的原因を失うことになるものではないことは明らかである。

監修者のコメント

 本相談ケースは、賃借人が原状回復義務の履行に代えて、原状回復工事の費用相当額を支払うことによって退去するというだけの合意で、賃貸人が受け取った費用で当該工事を実施するという合意はなかった事例であり、ケースとしてはむしろ少ないと思われる。通常のケースは、賃借人の費用負担によって、賃貸人が回復工事を行うという明確な合意か、黙示の合意なされるものだからである。掲示の参照判例の事例も本相談ケースと同じく、賃貸人が原状回復工事を行う旨の合意がなかったものである。したがって、回答も言うように賃貸人が工事を行うということになっているのであれば、賃貸人の不当利得であり、賃借人に返還しなければならないことに注意されたい。もっとも、本相談ケースは、不当利得の要件である「法律上の原因なく」には当たらないということから、法律上の返還義務はないということになるが、法律は最低限のモラルであることを考慮すれば、次の賃借人がたまたま同種の飲食店だったことから、原状回復工事を免れ、出費が1円もなかったのであり、法律論はともかく工事費用相当額を利得しているので、賃貸人は話合いにより、相応の金銭を返還するのが妥当と考える。本件が調停又は訴訟になったと仮定すれば、やはりそのような結果になる可能性が高いからである。
 なお、賃貸借の終了により、返還する敷金について、賃貸人が襖(フスマ)畳を張り替えたり、ハウスクリーニングをするつもりがないのに、返還すべき敷金から、その張り替え費用やハウスクリーニング費用を差し引いて返還する行為は、民事上、不当利得であることはもちろんであるが、犯罪である詐欺利得罪(刑法第246条第2項)に該当することを付言しておきたい。

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